3年間、まったく同じ弁当を作り続けた母がいた。
中身は、白いごはん。ブロッコリー、ピーマン、キャベツ、セロリをただ炒めただけ。味つけはゼロ。
そして唯一の“肉”らしきものは、息子が密かに「ボロ牛」と名付けたわずかなミンチ肉だけだった。
「炒めモンがラクで、栄養がとれる。」
母の信念は、鋼のごとく揺るがない。
そんな弁当を、息子は毎日きっちり完食していた。
それを見ながら、ボクは心の中でこう言い聞かせるしかなかった。
「大丈夫。君のこれからの人生、“食”に関しては感動しかない……。」
やがて小学生になった息子は、夢のような日替わり給食に舌鼓を打ち、
「何を食っても世界一うまい!!」と、毎日笑顔で帰ってくるようになった。
その笑顔を見て、ボクはようやく気づいた。
あの“緑白弁当”は、未来への先行投資だったのだ。
飽きるほど質素なのに、確かに「愛」が詰まっていた。
――たぶん。
