草刈りMowing the grass

行為者|en父Actor | en father

発見者|enFinder|en

真夏の道ばたで元気よく伸びている雑草を刈っている人がいたら、ふつうはありがたいと思うものかもしれません。特に暑かったこの夏、父は毎朝3時ごろに起き、家の前の道路脇だけでなく、一帯の道ばたの草をすべて刈り尽くしました。去年から始めた道ばたの草刈り。善意でやっているわけではなく、散歩のときに草が邪魔だったというだけの理由でしているのだと思います。父は、誰かのために何かをするということが、絶望的にできない人なのです。
 
私は数年前から、祖父の家庭菜園を引き継ぎ好きな植物を植えているのですが、ある夏の日、その畑が土だけのまっさらな状態になっていたことがありました。
あえて残していた雑草も、種まきから何年もかけてようやく大きくなった草花も野菜もなにもかも、父がすべて根っこから抜いていました。理由を聞くと「ちゃんと管理できないのが悪い」と言われました。私が怒り狂ったので、それ以来、畑には手を出さなくなったものの、代わりに今のように道ばたの草を刈るようになったのです。
 
幼いころの記憶で、今でもよく覚えていることがあります。
具合が悪かった私は母に病院に連れて行かれたのですが、しばらくしても良くならず、休みだった父が代わりに病院に連れて行ってくれました。
医師にどうしたのか聞かれた父は、「連れて行けと言われたから連れてきただけで、なぜ受診したのかはわからない」と答えたのです。医師はあきれたような少し怒っているような顔をしていました。
昔は、父のことをやさしいと思っていました。けれど大人になって気づいたのは、やさしいのではなく、他人に興味がないということ。
誰かのために何かをしようという発想そのものがなく、感情の起伏もなく毎日同じ動作を淡々と繰り返したい人なのだと。
 
道ばたの草刈りも、誰かの助けになればという気持ちはないと思いますが、道を歩く人たちはそんなことを知るはずもなく、感謝している人もいるようで、話しかけられたり飲み物を差し入れられたりされているようです。
悪いことをしているわけでもないし、それで散歩しやすくなっている人もいるので、まあいいかと何も言わないようにしています。
 
これまでの蓄積から、親やきょうだいには、なかなか暖かい眼差しを向けることはできませんが、こうして誰かに読んでもらえるだけでいいような気がします。
 
(写真がないので代わりに絵を送ります)